佐藤病院について

公開日 / 2025年1月6日

最終更新日 / 2025年1月6日

About Our Hospital

当院は、長い歴史の中で常に患者さま本位の診療を追求してきました。特に周産期医療では、安全性を最優先に、「豊かな母性」の育みを支援し、新しい命の誕生に伴う感動を患者さまと共有する姿勢で取り組んでいます。職員一同、強い責任感を持って患者さまに寄り添うことを心がけています。

妊娠中の健康管理や分娩を含む周産期医療に加え、不妊症や子宮内膜症の治療、負担の少ない腹腔鏡手術にも積極的に取り組んでいます。また、予防医学の視点から健康と美を支えるウェルエイジング外来を設立し、思春期から更年期まで、女性の生涯を支える相談と治療を行う産科婦人科専門病院として活動しています。

院長ごあいさつ

当院は、東京より100km関東平野の北端に位置する人口約37万人の高崎市に開業する産婦人科、単科77床の私立病院です。初代 佐藤信久(江戸中期)が高崎市郊外「舘村」にて医業を起こし、後裔が後に高崎藩医となりました。1845年頃高崎城下(現在の若松町)に出張所を設け、地域の医療に携わってまいりました。

以降、代々続く産婦人科の専門病院として長い間医療に従事し、私、佐藤雄一が12代目となります。これが「舘出張(たてでばり)」の由来であり、今日でも「でばり」の名で親しまれ、地域の皆様の信頼を受けております。

私たちの役割・使命は、すべての女性の相談役であり、また、すべての女性に元気になってもらうこと。すべての女性が生活しやすく、子供を産み育てやすく、楽しく過ごせる社会になることが願いです。安全で快適な医療の提供を第一に、女性の生涯を通じて、その豊かな Quality of life のお役に立てるよう、患者さま一人ひとりのご期待にお応えしたく、精進してまいります。

院長 佐藤雄一

病院沿革

江戸中期 1740年頃、高崎市郊外、観音山「舘村」にて医業を起こす。その後、高崎城下に出張所を設け、高崎藩の藩医となる。
明治初期 出張所が本院となり、舘出張(たてでばり)佐藤病院となる。
昭和初期 全国的にもまだ臨床例の少なかった婦人科がん治療手術を手がける。
昭和40年代 不妊外来を開設。
昭和57年 訪問看護として、分娩後の希望された患者さまを対象に、退院後1〜2週間を目安に看護師がご自宅や帰省先を訪問開始。
平成9年 10年に及ぶ構想の基、全面新築(6階建て、床面積5,375平方メートル)。外来・入院患者さまの託児施設を同一敷地内に併設する。
平成11年 スクリーニング検査として新生児聴覚検査AABRを施行。難聴などの早期発見に努める。
平成13年 現院長 佐藤雄一が中心となり、腹腔鏡手術を開始。
平成15年 周辺地域の8医療機関と契約(医療連携/セミオープンシステム)、共通診療カルテによる妊産婦管理を実施する。
平成16年 個人のプライバシー保護に重点をおき、外来診察室の改装を実施する。またLDR(分娩室)を2室増やし5室とし、陣痛室をベッド対応に、授乳室を拡張改造する。
平成18年 日本医療機能評価認定
平成19年 不妊治療専門施設高崎ARTクリニック開院
平成20年 予防医学の観点から女性の健康と美をサポートするウェルエイジング外来開設
平成21年 禁煙外来開設
平成23年 女性の健康を支援するためNPO法人ラサーナ設立
平成24年 両親学級開設
平成25年 栄養プロジェクト開始
平成26年 佐藤雄一が第12代院長に就任
佐藤仁が舘出張佐藤会 理事長に就任
GDM外来開設
マンモグラフィ導入
学びカフェ開始
一般社団法人コトハバ設立(会長 佐藤雄一)
平成27年 アスリート外来開設
群馬県性暴力被害者サポートセンターSAVEぐんま 病院敷地内に開設
全妊婦対象の栄養スクリーニング開始
マンモグラフィ検診施設画像認定
平成30年 第18回日本抗加齢医学会総会 最優秀演題賞受賞
平成30年度全国栄養士大会 84 Selection 2018受賞
東京日本橋に「フィーカレディースクリニック」開院
第2回「ジャパンSDGsアワード」特別賞
「SDGsパートナーシップ賞」受賞
令和3年 第12回地域再生大賞 関東・甲信越ブロック賞受賞
令和5年 日本産婦人科学会 健康・医療活動賞受賞

理念・お約束

理念

私たちは出産を中心に、女性の生涯にわたる専門病院として、優秀なスタッフによる最新医学を取り入れた診療内容を、地域社会に提供する使命を自覚し、温かみのある看護とサービスにより、患者さま一人ひとりに愛される病院を目指します。

基本方針

お約束・患者さまの権利章典

当院は患者さまの医療に対する主体的な参加を支援するために、以下の「患者さまの権利章典」を尊重し診療を行います。

臨床倫理方針

施設基準一覧